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Familiar Hour Project
Diary From Milan
Date M/23Apr 11:00am〜1:00pm Rimaind/30Apr10:00am〜11:30am W/2May 2:30pm〜5:00pm
Name of School Milano Liceo Ginnasio Statale
Address "A. Volta", Via C. Cantu 57, 22100 Comotel. 031/261498, fax 031/243066
Tel/Fax tel. 031/261498, fax 031/243066
Person To Contact Mr Matteo Luigi Balduzzi
# of Participants 61students
 
Dairy
最初のミーティングには70をこえる参加者だったので「一チームでも十分だな」とタカを括ったのも束の間、翌週の質問コーナーには誰も現れず、「このままでは実際に誰もこなかったらどうしよう」と焦り、ワークショップ2日前にあちこちを廻って一人一人にリマインド攻撃をした。結構効果があるよネきっとと期待していたが、ワークショップに現れたのはどう数えても25人で、実際にワークを作成したのはそのうち17名くらいだった。ちょっとくらくらきてしまい、「14日間居て17名?ドイツと大違い??」と内心乱れつつも淡々と生徒一人一人に回ってお手伝いを心掛ける。イタリア人は結構どころか、かなりアバウトだ。皆ちゃんと話を聞いていないらしくバラバラな写真の取り方だし、親子の写真をと頼んでも撮ってきたのはネコと男の子の写真だったり同じ向きに並んで撮って下さいねって言っても向き合って撮っていたり、もうめちゃくちゃ。ミルクカートンもひとり4つ持ってきてって伝えても、2個しかもってこなかったり、果てしなくマイペースだ。そもそも、辞めた50人の人達の理由を知る所から始めたいのだがそんな事も既に遅いし、どうするか考えていた。担当者のマッテオは多分良く理解してくれている方なのだが、やはりアーティスト魂が強く働いてしまうのかオリジナルなやり方を伝え始めて生徒も少し混乱ぎみだった。しかしワークショップをやっていくにつけ20人も来てくれている事は凄い事なのかも知れないと、こんなにコントロールの聞かない人種をこれだけの数集めるのはそしてそれなりの生徒側にも要求をしてそれに答えないと出来ないシステムになっているので来てくれているだけでも有り難いって思わなくっちゃと思い直し、だんだん楽しくなってきた。そもそも同じような形になるのであれば5つの都市をまとめる意味と言うのもないはずなのだ。その都市に住む人々の特色が強く現れていた方がよりその背後にある話が鑑賞者に伝わり易いはずと「必要なのは数じゃなくてドラマなんだ」って思うと、これほどドラマチックなワークショップはそうない。担当してくれたマッテオなんか絶対に自分の好きな事や興味のある事以外はしない人種だけど、その彼が2週間も自分の家に私を泊まらせてくれて、しかも多分無償に近い形でこの計画のサポートをしてくれている、それを考えるだけでも結構ドラマティックだ。ましてや、こんだけ色んな解釈をしてくれる写真を見せられるといったいどんな聞き方をしていればこうなるのか全く釈然としないけど、ここまでひどいと本当に感動すらする。担当してくれた英語の先生らしき人(声から察してこの人が一番はじめに学校に電話をしてマッテオの所在を聞いたら「そんな人は居ません、知りません」と応えて私を不安にさせた人のような気がする)が又他の時間に今日来れなかった人を集めて再度私抜きでワークショップをマッテオを中心にやってくれると言うのでどこまでかは判らないけどとにかくそう約束した。「ドイツや日本だったらじゃこんな状況にはならないと思う、でもだから面白いんだけどね。同じような結果を産みたいんだったら5つの都市で同じワークショップをやるなんて必要はないはずだし、このイタリアの結果は社会の違いすらも様相的に見せてくれているようで本当に面白いですよ」と、感想を聞かれたので答えたら、「ドイツや日本は小学校でやったんだろう、それじゃあ簡単に人は集まるさ、こっちは高校生なんだから、皆ひとりひとり判断する権利を持っているしその時は面白いって感じてもいざ本番になって優先順位が変わって来ないことはままあるんだ」と強く力説された。別に結果は結果でこうしかならなかったんだし、自分の計画に面白さがなんらかの形で欠けているから人数が1/3になってしまったんだろうし、逆にイタリア人をおもしろがらせる内容を組み立ててそれはあんまり他の都市には有効じゃないのかも知れないし、各都市でそれぞれの多くの人達を先導するのが目的じゃないからこの結果は結果で良いと思うんだけど、彼も彼なりに自分の時間も労力も掛けてくれててだからこそ、ちょっと本気でお互いに議論してしまった。最後に「もし自分じゃない人がこの計画に携わっていたらイタリアでの君のワークショップは難しかったと思う」と言われ、確かにそうだろうなあと、納得した。イタリア人は私の感覚では掴みきれない、それは認める。小学校だったらもっと簡単なんだろう。それも認める。だけど今回はたまたま偶然なんだけど、何でだか、この人に私のメールが転送され、たまたま興味をもってくれているうちにずるずる協力する事になってしまったのが実情だろうけど、そして運悪く、この時期はイタリアも日本のようにゴールデンウイークに当る期間のようで開催を望んでいた小学校の先生も自分の休暇とぶつかるから今回は出来ないと言ってきたように私も「取りあえずやってみないとわかんない」で通してしまったけど、本当はそれなりに順を踏んでやってみるものなのだろう。それをやらずに、ちょっと無理矢理押し通してしまっているのかも知れないし、この人には苦労を掛けているんだろう。実際のワークショップ以外にもこの滞在期間中本当に細かい所までケアしてくれた。そんな苦労はあんまり彼らしくないんだろうなあと想像する。それも含めて、全部とにかく、彼にぶつかってなおかつ実行出来た事は今回のプロジェクト遂行の中で幸運な出来事の1つには違いない。
各都市の数に差が大分あってもそれも含めてドラマにしてしまう事の方が恐らくもっともこの作品に意味を与えるもの何だと思う。ミラノには10日間居てマッテオやその周囲の人達に言葉が判らなくても側に居させて貰えて、家族の食卓とか、身内のパーティとか、職場とか、色々連れて歩いてもらったお陰でこちらの人達の色んな面をまじかに見る事が出来た。職場に居ても非常に皆話ながら、ときどきは大声で歌ったり、上手くいったら皆で拍手したりして、煩いぐらいだけど、これじゃあ、寂しくなんかないよね。と、マッティオの自由(過ぎる)人間関係を実に頼もしく見る事ができる。いつも突然良くわかんない所からモノを言ってくるから戸惑う事もあるけど、基本的には優しいし、人間としてとっても魅力的な人だ。イタリアの中にあっても色んな人と話したけど、その中にあってこの人は魅力的な生き方をしている方だと思う。私は又この自分の計画を他の形で押し進めてこんな人にあえる幸運を願い続けたいと思う。後日談:その後生徒とマッテオと英語の先生とで」やってもらったワークショップの結果は3日たってもまだ来ない。電話も留守電、メールの催促も効果なし。どうなっているのか凄く知りたいと思いつつ。明日はNYだ。後後日談。マッテオからメールあり、彼は何故かロンドンに行くらしい。ワークは70個程完成しているという連絡が入った。一安心。
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